新しい家に住んで1年以上が経過しました。
これからの人生、基本的に今後は住所がここから変わらないんだなぁと思うとこれまで流浪の人生を送ってた身としては不思議な気分です。
何しろ子供の頃は親が転勤族で数年おきに住所が変わり、土地が変われば仲良くしていた友達とは離れてしまい気づけばそのうち疎遠になってました。
当時メールやスマホがあれば違ったのかもしれませんが、その頃はまだインターネットなんて言葉も一般的ではなく、携帯電話にiモードも備わってない時代でした。
時は変わり21世紀、携帯電話で気軽に「あけおめ」「ことよろ」なんて書いているうちに元来の筆不精が輪をかけて、気づけばいよいよ紙の年賀状はほとんど出さなくなってしまいました。
家には立派なプリンターが有ってこの季節だけはフルカラー印刷が活躍してたのに、いよいよ大学のレポートをちょろちょろっと白黒で出すだけの存在になってしまいました。
当時はまだ耐久性が低くてよくジャムったりヘッド汚れで印刷が変になったりしてましたねぇ。
その大学のレポートも大学で印刷すればタダだと気付いてからはもっぱら大学で印刷するようになりました。
プリンターは単独では活路がなくなり、スキャナーを付けて複合機としてなんとかたまのコピーをとるときに活躍しては、やっぱり相変わらずジャムったり印刷が壊れたりしてました。
最寄りのコンビニが片道徒歩20分だったのでコピー機としての複合機は本当にあって良かったと思います。
就職して一人暮らしすると、もう部屋にプリンタを置くこともしなくなりましたし、年賀状のやりとりも熱心な上司から届くだけになりました。
いよいよ自分から積極的に年賀状を送ることもなくなり、年明けに届いた年賀状に対してコンビニの売残り年賀状にちょろっと一言添えて出すだけになりました。
それも海外移住でなくなり、帰国した後は届く年賀状は生命保険屋のおばちゃんと嵐からの2枚だけ。
嵐は日本郵便が年賀状の上に付けてる表紙のことです。
新居に多くの来客があった
さて、この1年間を思い返すと前半はただひたすら家に篭るのみ、東京都は終わらない緊急事態宣言下でもはや何が緊急なのかもわからなくなってました。
いよいよ緊急事態が消えたのもほんの2〜3か月ほど前の話です。
しかし、このわずか数ヶ月の間に実に多くの方々が我が家を訪れて下さいました。
ずっと会いたかったけどやっと会うことができた、という方々ばかりです。
また、諸般の事情により事態がまだ沈静化する前にもお越し頂いた方々もおりました。
本当はもっと大人数で来訪される予定でしたが、時期的に一部の方と私かお会いできず、それでもこのようなご時世でなかなか他人と触れ合う機会がない中、本当に嬉しい時間でした。
そして皆さま色々と心のこもったお土産や新築祝いを持ってきてくださっており、ホント感謝しかありません。
至らないおもてなしを精一杯するくらいしか出来ませんでしたが、お礼はまだまだ言い足りません。
つながりを改めて感じられた1年でした
1年以上何も悪いことをしていないのに謹慎生活をさせられていたようなストレスがありましたが、このように改めていろんな方々とお付き合いすると、繋がっているっていいなと感じたのでした。
他にも、顔を合わせることが出来なかったけど贈り物で繋がっている方もいます。
このように人々との繋がりを実感したところ、お越し戴いた方や贈り物をするような間柄の方に対しては可能な限り年賀状を出そうと思ったのでした。
来訪者の中には庭の出来上がる前に来た方々もいたので年賀状に庭の写真でも載せようかと思いましたが、家の写真だけの年賀状も如何なものかと思い、とどまりました。
お子様がいる家庭だったらね、子供の成長報告も兼ねてそういう写真を使えるのでしょうが、さすがに自重しました。
いや、そういう機械の使い方がわからないから写真を使わないのではないですよ、使い方わからないけど。
とりあえずこの年末に用意するものは10枚もないくらいですしね、出来合いの年賀状をコンビニで買ってきて対応することとしました。
紙媒体で年賀状を送りたくなった理由
さて、これだけの理由ならべつに紙で年賀状を送らずメールで時候の挨拶をすればよいだけと思われるでしょう。
もしくは年の瀬のご挨拶にと贈り物をすることも一つの選択肢ですね。
しかし、年賀状という紙媒体にした理由は全く別のところにあります。
メールやLINEメッセージなどは本人しか確認できませんが、年賀状という紙で送ると誰でも容易に見られること、これこそが紙媒体にした最大の理由です。
最近お付き合いしている方々は年代が上の方も多く、または若い方でもそうなのですが、突如としてお亡くなりになることが出てくると思うのです。
ひょっとしたら自分自身が先にそうなるかもしれません。
先日も75歳になる大先輩にお越し頂いたのですが、その方とお話している中で、人知れず逝ってしまわれるのは嫌、最期の連絡は欲しいよなぁという話題になりました。
しかし御遺族の方が知り合い縁者に最期の連絡をしようにもスマホの電話帳は本人でなければ開けられません。
これでは御連絡戴くことも叶わないかもしれないと感じました。
そこで、年賀状を送り合っていれば互いの連絡先が誰の目にも見えるように残せるから送り合おうという事となったのです。
そして私は感じました。
年賀状は、消息を知りたい相手に送るのだと。
若い頃の自分は、自分自身の消息を知らせたい相手に送るものだとばかり思ってたのですが、歳を重ねると逆向きの考え方になってきました。
ただ、最期の連絡を貰う日はどうか遠い遠い未来の話であってほしい、そしてその時はいい思い出に浸りたいです。
手書きで宛名書きして文字と向き合う
上で述べたように、今回送る相手はわずか10件にも満たない程度、さらに送る年賀状は出来合いのものです。
プリンターを持っていれば宛名書きもパソコンからプリンターでパパッと書くことができるのですが、生憎我が家にはプリンターは有りません。
残された手段は、手書きです。
普段手書きでキレイな字を書くことなど意識してませんし、なんでもネットやスマホでできる時代、そもそもの手書きする機会も非常に少なくなってます。
従って手書きには全く自信がありません。
しかしそう言ってたらなにも進みませんので一念発起、筆ペンを握りました。
たった10件にも満たない宛先、けど1文字1文字を確認しながら宛先を書きました。
中にはバランスが難しい字、日常使わない字などもあります。
妻からは、
次の宛先は難しいで~
今日最後の宛先、まさにラスボス的難しさやな
などと口を出されながらも筆を渡さずすべての宛先を書きました。
表は書いたから裏面の一言メッセージは任す!
柄の大きいやつわざわざ選んだのに!書かんぞ!
といったやりとりを出来るのも手書きならではですね。
どうぞ、新年無事に届きますように。
あと、年賀状のお年玉が当たりますように。
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