事前知識ゼロで注文住宅に挑む

住友林業で注文住宅を建てました。家づくりの事前勉強もせずに家を建てた記録です。

事前知識ゼロで注文住宅に挑む

じーちゃんの記憶

今回は家の話は全くしません。

大好きだったじーちゃんの話を書きたくなりましたので、構成など考えずに思いついたままに書きます。

この話を書こうと思ったきっかけ

普段からあまりお付き合いのない愚弟が1年間のコロナによる延期を乗り越えて結婚式を挙げました。

このご時世流石に遠方から多くの友人親族を呼んで大宴会とはいかず、ごく僅かな近しい人たちだけでこじんまりと、お酒も出せないささやかな会でした。

直近で緊急事態宣言が延長されてしまったこともあり、地方在住の親族はもし来場した場合は社内規定で2週間は会社を休まざるを得ないため今回の来場を諦めた、とのこと。

そんな中でも彼のために遠方から来場した旧友なども居たようで、良い親交を深められたのでは無いでしょうか。

方やワタシは、妻とは海外在住時に結婚したのですが、当時東欧のリゾートか京都で小さな結婚式をと模索したものの準備や調整が上手くいかず、断念したままもうすぐ10年の歳月が経とうとしています。

さすがに今更やるわけにはナァ。。。とは妻の言葉。

さて、この結婚披露宴で上映されたスライドの中に、ワタシや親などがウルッときた写真がありました。

母方のじーちゃんの写ってる写真です。

ワタシが小2の頃に倒れてしまって、2年ほど闘病の末に早世してしまったのですが、生い立ちを振り返るスライドの中で不意にじーちゃんと写ってる写真が出てきまして、何十年ぶりかに写真を見ました。

じーちゃんの10年後くらいに逝ってしまったばーちゃんの若いころの写真もあったのですが、じーちゃんばーちゃん両方の写真を見られたのは、良かったなぁ。

じーちゃんの記憶

先に書いたとおり、小2の時には既に倒れてしまったので、今も鮮明に残るじーちゃんの記憶の多くは、写真の中の姿でしかありません。

いつもキッチリと純白のカッターシャツを着て、ループタイをしめてました。

厳しそうで怖そうな雰囲気ながら、はじめての男孫ということで相当可愛がって貰いました。

将棋が趣味で、金転がしを教えて貰ったことは今でも覚えてます。

今となっては金転がしのルールも忘れちゃったけど。

もう少し大きくなったら、ちゃんとした将棋の指し方を教えてくれたんだろうなぁ。。。

そう言えば、じーちゃんの家にはかなり早い時期にケーブルテレビが引かれました。

昔なので多分安くはなかったと思います。

でも、そのおかげでじーちゃんの家の地方では映らなかった関西の番組が映るようになりました。

じーちゃんの家のテレビがつまらなかった僕は大喜びしたのですが、今思えばひょっとしたらあれは、ワタシらや弟が来ても退屈しないためだったのかもしれません。

遺ったもの

ばーちゃんは、じーちゃんが逝っちゃった後も毎年お正月には仏壇の前にお年玉を置いて、「ワタシからじゃのぉてじいさんからのお年玉だ」とじーちゃんとの接点を残してくれてました。

小学校の頃に自転車を買ってもらったのも、じーちゃんが倒れた後だったと思いますが、じーちゃんの金だ、と言われた記憶があります。

じーちゃん家の広い土間にはキリンビールとキリンレモンの瓶がケースで並んでたのですが、それらはじーちゃんが逝ってからも残ってました。

夜になると大人たちはそこから瓶ビールを取り出して飲んでて、子どもは1日1本だけ、キリンレモン飲ませてくれたんだよなぁ。

なので、キリンビールは自分にとって少しだけ特別なビールブランドです。

親父は家ではアサヒビールを飲んでたように覚えてますが、もう15年以上前の記憶だから忘れました。

そういえば親父とも酒を酌み交わしていないなぁ。

自分が飲めるようになったのもウチが相当ゴタゴタした頃だったし、まぁそれはどうでもいいや。

Anyway, そんな子どもの頃の記憶を思い出して、正直弟夫婦云々そっちのけで古い記憶と感傷に浸った1日となりました。

さて、この結婚式の機会に母親と伯母を我が家に招待しましたが、その話はまたの機会にしたいと思います。

別に大した話もしてないから、わざわざここに書かないかもしれないけど。

一応の記録です。

 

コロナ終わったら実家に帰って、写真見返してみようかな。

歳を重ねるごとに自分の顔がだんだん憎たらしい顔になっていくから見返してて嫌になるんだよねぇ笑

 

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